キリスト教のミサに参加する【バギオ留学】

留学の醍醐味として、現地での生活をしながら異文化に触れるというのも貴重な経験になります。今回はキリスト教の日曜日のミサに参加してきましたので、その様子をリポートしたいと思います。価値観の違いを大いに感じる機会となりましたので、興味がある方は訪れてみても良いかもしれません。

日曜日のミサとは?

前提として、私は無宗教寄りの人間で、信仰しているものは特にありません。そんな人間が参加していいのかと思うかもしれませんが、誰でも受け入れる習わしがあるそうです。ネットで情報を確認し、クリスチャンの先生にも参加の可否を聞いておいたので、参加することに特に問題はないはずです。

キリスト教のミサとは毎週日曜日に行われる一番大事な祈りのことで。神父が教徒たちに説教を行い、キリストに祈りをささげる集会のようなものだと私は認識しています。国民の大半がキリスト教徒であるフィリピンでは1日に何回もミサが執り行われています、下の写真がスケジュールです。

以前通りがかりに、でっかい教会を見つけたのが興味を持ったきっかけで、その時は教会から溢れんばかりの人だかりがありました。何が行われているんだろうという気になっていたところ、偶然英語っぽい演説が聞こえてきて、もしかして英語の勉強になるんじゃないか?と思って参加に至りました。

ミサの流れ(前半)

最初に断っておきますが、参加した内容については正直よくわかっていません。何もわからない初心者が参加して、こんな風に感じたよって気持ちをそのまま書いていきます。もちろん礼節をもって臨み、失礼のないようにブログに書き起こしています、それでも間違いがあった場合はご容赦ください。

開始時間の10分前くらいから、既に参加し終えた人とこれからの人の入れ替わりが行われます。そして席に座って開始時間を待つのですが、この合間の時間は何人か写真を撮っていた人がいたので、私も内部の写真を何枚か撮りました。もちろん、式典中は妨げになるので撮影は控えました。

時間になると、神父たちが真ん中の通路から壇上に上がっていきました。ここからは式典に入り、女教徒による何かの名前?の読み上げと経典?の復唱から始まります。その後、神父の一人による説教が行われます。聖書を基にした説教のようです。

「Why selling something?」

「The answer is...」

という話がある一小節が読まれていました。時間にして8分ほどでそれほど長くはありませんでした。

その後は一番位の高いであろう大神父からの講和?になります。先ほどの説教が結構ガチガチの形式ばったものだったのに対し、こちらは結構フランクに感じました。というのも身振り手振りを交え、思いを伝えるように、抑揚をつけて話していましたし、話のところどころに「I don’t know」とか「I’m sorry」とか口語で話すような表現があったからです。

話していた内容は「9月は雨期の終わりごろで○○が1kg○○ペソで~」とか「エクササイズするときは~」みたいな実生活に密接した教えが行われていたと思います。この教えが20分ほど行われます。

その後、お布施を集める時間になり、網を持った女教徒が巡回してきます。お布施を入れるかは自分の気持ち次第、寄付しなくても問題はありません。入れるならコインか10~20ペソが妥当、と聞いていたのでとりあえず10ペソコインを入れておきました。

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ミサの流れ(後半)

後半は先ほど講和していた大神父と思わしき方が祝福する時間に入ります。教徒たちは膝をついて祈りを捧げます。教会の椅子には、一般に足置きのある位置にクッション材が備え付けられています。ここに膝を乗せ、肘を背もたれの上に乗せて祈ります。

この際、心地よい鈴の音が神父によって奏でられ、同時に鐘の音がスピーカーから流れます。恐らく、赦しの時間もしくは祝福の時間だと思います。この時間が5分ほどです。再び席に着き、その後は歌の斉唱と式辞の読み合わせのようなものが行われます。

それが終わるとおもむろに白い丸い何かを教徒たちに配り始めました。私もよくわからないまま列に並び、祝福を受けながら白い丸いものを受け取り、周りの人がやっていたように口に入れて席に戻りました。その後は再度お布施の時間を行った後に祈りの時間を少し行って終了となりました。

後から調べたのですが、白い丸いものは「聖体(せいたい)」という白いパンのことでキリストの最後の晩餐に由来する由緒正しいもののようです。ここでは、薄い米粉生地のような舌にのせると溶けるシート状のものが配られました。

(※追記)この聖体ですが「キリスト教徒が以外が摂取するのは良くない」という記事も見ましたので以降は受け取らず、途中で退出するようにしています。

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ミサに参加してみて

私は何の準備もせずにどんな流れで行われるか分からないまま参加しましたが、結果的に、特に問題はありませんでした。周りの人の真似をすれば流れを汲むことが出来ます

参加するモチベーションについても人によってまちまちで、熱心に祈りを捧げる人もいれば膝置きに足をかけ、ぐでっとした態度の人も少数ですがいました。あと、子どもがあうあう言っている場面も割と見られたので、特別な感情は必要なくカジュアルに参加できると思います。

ただ、教会の中は広く、そして綺麗でした。1階と2階に席があり、軽く500人くらい収容できますが席はすぐに満員になり、外での立ち見が出るほどの人が参加します。私が参加した会が終わると、すぐさま人が入れ替わり参加していたので、1日のミサ参加人数は3000人を超えると思います。この辺の規模感にも圧倒されるものがありましたね。

また、これだけの人が日曜日の貴重な1時間を祈りに使う文化が、我々日本人からすると不思議ですよね。でもそれが日々を生きる支えになるのであれば、必要不可欠なのかもしれません。あと、英語の聞き取りトレーニングの件ですが、非常に困難でした。喋っている内容の5%も聞き取れませんでした

説教や講和の内容が、なかなかうまくブログに表せられず、曖昧なのはそのためです。比較的ゆっくり分かりやすく話してくれているのですが、マイクを通した英語は非常に聞き取りにくいです。まさか授業外の英語がここまで聞き取れないものかと少しショックでした。

個人的に、大神父の講和には非常に惹かれるものがありました。ゆっくり抑揚をつけて身振り手振りで話してくれているうえに、話の内容も理解できれば面白そうです。英語力向上の意味も込めて、今後も教会には通ってみようかなと思っています。また機会があれば報告したいと思います、ではまた!